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第343海軍航空隊 剣部隊

紫電改

イメージ画像:緊急発進する『紫電改』ハセテックさんの作品です。

昭和16年(1941年)12月8日ハワイ真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争も、昭和17年(1942年)
6月のミッドウェー海戦を境に敗戦の一路をたどり、昭和20年初期には日本の国土も連日連夜、
B29の爆撃にさらされるようになっていました。その国土を守る飛行機さえ数少なくなっていた頃、
真珠湾攻撃の参謀だった源田実海軍大佐が、本土防空と制空権の奪回を目指し、自ら司令となり
当時の海軍で優秀な戦闘機乗りを集めて編成したのが、音に名高い343空「剣部隊」です。
優秀なパイロットと、配備された戦闘機は当時ゼロ戦に代わる最新鋭の『紫電改』で、343剣部隊は
当時の海軍航空隊の中で最強・精鋭部隊だったと言っても過言ではありませんでした。
343剣部隊は紫電改の登場と時を同じくして、昭和19年12月25日四国松山基地にて誕生しました。
以後、鹿屋(鹿児島県)~国分(鹿児島県)~大村(長崎県)と基地を移し、終戦まで戦い続けました。
終戦までに撃墜した敵機は約170機を数え、剣部隊の損失は約80機だったと言われています。
敗戦続きの大戦末期にあって、アメリカ軍機と互角以上に戦った実績はキラ星のような存在でした。
彼らの勇敢な戦闘ぶりは、B29爆撃手の証言では「B29の場合1機当たり6門、12機編隊だと72門
の機銃が一斉に火を噴く。たちまち弾の壁ができてしまうのだが、彼らはそこを突っ込んできた。
大変な勇気だ!あんなに勇敢なパイロットは他にはいない!彼らは信じがたい確率に自分自身を
賭けていた!」というのがあり、かなり攻撃的な部隊だったようです。
隊員たちは、各飛行隊を新撰組(戦闘301)・維新隊(戦闘701)・天誅組(戦闘407)と名付け意気
高らかに訓練と実戦に明け暮れる日々を送っていました。
昭和20年3月19日の松山沖空戦をはじめ、国土防衛に青春と生命を賭けたその空戦史は、今に
残る光彩となっています。
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