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機体の保存へ

保存に向けて修復 紫電改 紫電改


引揚げ後、「紫電改」を制作した新明和工業(株) (旧 川西航空)により約1ヶ月(昭和54年10月2日~11月7日)をかけて一部補修・防錆塗装が施されました。
「なるべく引揚げた時の姿のままで保存してほしい。」とご遺族たちからの要望があり、機体は一部補修したもののプロペラは曲がったままにしています。
日本海軍最後の切り札とも言うべき最強戦闘機「紫電改」は、恒久平和を願い、久良湾が一望できる南レク馬瀬山公園で、終焉の地へ機首を向けて永久保存することとなりました。
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  1. 機体引揚げ
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34年ぶりの浮上

引揚げられた紫電改
ついに海面から勇姿を現した紫電改

海面から姿を現した瞬間、まわりから「オッー」とどよめきの声があがりました。
長い間、海底深く眠っていた紫電改は、ついに34年振りに地上へと引揚げられました。
機体はフジツボに覆われ、破損箇所が随所に見受けられたものの原型はとどめていました。
そして、風防の先端に季節の花が可憐に揺らいでいました。
それを見たご遺族たちから、一斉にすすり泣きの声が漏れました。
潜水作業をしたダイバーの皆さんが供えてくださったのです・・・。
「長い間、ご苦労さまでした。」「ありがとうございました。」「ありがとう。」ご遺族たちの声でした。

この機体に誰が乗ってたのだろう?

乗ってたのは、もしかして自分の夫?息子?兄弟?ご遺族たちの気持ちもむなしく、引揚げられた
機体の操縦席からは遺骨も遺留品らしきものも何一つ見つかりませんでした。
機体番号等も腐食して残っておらず、誰が乗ってたかはナゾとして残りました。
この機体は、水中墜落でプロペラが4枚とも内側に90度に曲がっていることから、高度な操縦技術
を持ったパイロットにより、海面上に不時着したと考えられています。
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浮上する機体

浮上 フジツボに覆われた機体 久良湾から見る馬瀬山

引揚げられる紫電改
発見から翌年の昭和54年(1979年)7月14日、未帰還6機のご遺族、元343剣部隊関係者たちが見守る中 愛媛県から委託を受けた藤田海事工業(株)と地元漁業関係者等の協力で機体の引揚げは行われました。

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機体の発見

愛南町久良湾

愛媛県南宇和郡愛南町久良湾

昭和53年(1978年)11月18日、愛南町久良湾で養殖イカダのアンカーを捜していた地元のダイバーにより
湾内の長崎鼻沖200m海底41mの地点で沈んでいるのを偶然発見されました。最初は昔の戦闘機のような飛行機が沈んでるということでしたが、調べでこの機体は旧日本海軍局地戦闘機『紫電改』だとわかりました。

紫電改海底写真

海底に沈んでいた紫電改

さらに、この紫電改は343剣部隊に所属し、終戦間近い昭和20年(1945年)7月24日、豊後水道上空で
アメリカ軍機と交戦したうちの一機であることがわかりました。

空中戦イメージ

空中戦イメージ
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