紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り・ブログ新規開設!!

本日ブログを開設いたしました!
 『紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り』 

日本にただ一機、現存する紫電改を全国の皆さんに知ってもらいたくて日々頑張っています。
紫電改展示館のPR、プラモデル製作、紫電改関連のフェルト商品、日々の晩ごはん などを
MIKI と二人で綴っていこうと思います。 一生懸命ガンバリますのでよろしくお願いします。

はじめまして、紫の豚です!

      はじめまして、紫の豚です!

紫電改展示館紫電改展示館

ツアーのお客様など、前日までに ご予約いただければ 飛行服コスプレ でご案内しております。
個人でお越しのお客様も、遠慮なくご用命ください。

当時の飛行服、飛行帽、ゴーグル、救命胴衣、マフラーは実物ではありませんが、
雰囲気だけは 搭乗員の格好でご案内しています。

当時、こんなメタボの搭乗員いませんよね。  もっとスリムにならないとね ・・・ 

             皆様のご来館お待ちしております!

旧日本海軍最強戦闘機 『紫電改』1/72紫電改プラモデル紫電改展示館石碑紫電改展示館MIKIフェルト紫電改紫電改スイーツ紫電改スイーツ紫電改~ハセテックさんの合成画像お客様からの手紙紫の豚紫電改展示館MIKI晩ごはん晩ごはんフェルトマスコット人形

テーマ:愛媛県 - ジャンル:地域情報

  1. ★ごあいさつ
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旧日本海軍局地戦闘機 紫電改

紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、海軍航空の掉尾を飾る優秀な戦闘機だったと                                                       言われています。太平洋戦争末期において本土防衛のため、宿命を背負ってつくられた『紫電改』は、優秀であったがゆえに一層過酷な任務を与えられ、かけがえのない多くの青春と運命を共にしました。

旧日本海軍局地戦闘機 『紫電改』

太平洋戦争初期において、ゼロ戦は「向かうところ敵なし」の大活躍でアメリカ軍機を圧倒しました。
ところが戦争中盤からアメリカ軍はゼロ戦よりも強力な戦闘機を送り込んできて、圧倒的な物量差も
あり日本は次第に劣勢に立たされました。もうゼロ戦では通用しなくなったわけですね。
日本海軍はゼロ戦に代わる新鋭機の開発を急ぎましたが、技術力の限界もあり、なかなか新鋭機
の開発は進みませんでした。ようやく紫電改が歴史の舞台に登場したのが大戦末期、敗戦色濃くなった
昭和19年12月でした。紫電改は、終戦までわずかな間でしたが日本海軍「最後の戦闘機」として
ふさわしい最強戦闘機の活躍を見せました。

超空の要塞B29との死闘 紫電改
イメージ画像:ハセテックさん

[紫電改データ]
         全長 : 9.34m      
         主翼 :11.99m   
         高さ : 3.96m
         速度(時速) : 620km   
         装備重量 : 4.86t  
         エンジン : 2,000馬力
         武装:20ミリ固定機銃4挺(60kgまたは250kg爆弾2発搭載可能) 
         制作:川西航空機(現・新明和工業) 
         製造:約400機
         配備:昭和19年(1944年)12月~昭和20年(1945年)8月

[特長]  ・「ゼロ戦」を上回る速度、上昇性能、攻撃力、防弾性、防火性
         ・コンパクトでありながら大馬力エンジン(誉エンジン)
         ・自動空戦フラップ(高速機でありながら旋回性能が良い)

※現在「紫電改」は世界に4機、日本ではただ一機残存する。 
        ◆アメリカ・オハイオ州 空軍博物館
        ◆アメリカ・メリーランド州 スミソニアン航空宇宙博物館
        ◆アメリカ・フロリダ州 ネーバル アビエイション ミュージアム
        ◆南レク馬瀬山公園 紫電改展示館の機体
 

  1. 紫電改
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第343海軍航空隊 剣部隊

紫電改

イメージ画像:緊急発進する『紫電改』ハセテックさんの作品です。

昭和16年(1941年)12月8日ハワイ真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争も、昭和17年(1942年)
6月のミッドウェー海戦を境に敗戦の一路をたどり、昭和20年初期には日本の国土も連日連夜、
B29の爆撃にさらされるようになっていました。その国土を守る飛行機さえ数少なくなっていた頃、
真珠湾攻撃の参謀だった源田実海軍大佐が、本土防空と制空権の奪回を目指し、自ら司令となり
当時の海軍で優秀な戦闘機乗りを集めて編成したのが、音に名高い343空「剣部隊」です。
優秀なパイロットと、配備された戦闘機は当時ゼロ戦に代わる最新鋭の『紫電改』で、343剣部隊は
当時の海軍航空隊の中で最強・精鋭部隊だったと言っても過言ではありませんでした。
343剣部隊は紫電改の登場と時を同じくして、昭和19年12月25日四国松山基地にて誕生しました。
以後、鹿屋(鹿児島県)~国分(鹿児島県)~大村(長崎県)と基地を移し、終戦まで戦い続けました。
終戦までに撃墜した敵機は約170機を数え、剣部隊の損失は約80機だったと言われています。
敗戦続きの大戦末期にあって、アメリカ軍機と互角以上に戦った実績はキラ星のような存在でした。
彼らの勇敢な戦闘ぶりは、B29爆撃手の証言では「B29の場合1機当たり6門、12機編隊だと72門
の機銃が一斉に火を噴く。たちまち弾の壁ができてしまうのだが、彼らはそこを突っ込んできた。
大変な勇気だ!あんなに勇敢なパイロットは他にはいない!彼らは信じがたい確率に自分自身を
賭けていた!」というのがあり、かなり攻撃的な部隊だったようです。
隊員たちは、各飛行隊を新撰組(戦闘301)・維新隊(戦闘701)・天誅組(戦闘407)と名付け意気
高らかに訓練と実戦に明け暮れる日々を送っていました。
昭和20年3月19日の松山沖空戦をはじめ、国土防衛に青春と生命を賭けたその空戦史は、今に
残る光彩となっています。
  1. 343空剣部隊
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機体の発見

愛南町久良湾

愛媛県南宇和郡愛南町久良湾

昭和53年(1978年)11月18日、愛南町久良湾で養殖イカダのアンカーを捜していた地元のダイバーにより
湾内の長崎鼻沖200m海底41mの地点で沈んでいるのを偶然発見されました。最初は昔の戦闘機のような飛行機が沈んでるということでしたが、調べでこの機体は旧日本海軍局地戦闘機『紫電改』だとわかりました。

紫電改海底写真

海底に沈んでいた紫電改

さらに、この紫電改は343剣部隊に所属し、終戦間近い昭和20年(1945年)7月24日、豊後水道上空で
アメリカ軍機と交戦したうちの一機であることがわかりました。

空中戦イメージ

空中戦イメージ
  1. 機体引揚げ
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未帰還の六機

空中戦イメージ
イメージ画像:ハセテックさんの作品です!
豊後水道上空、コルセアを追撃する紫電改

昭和20年7月24日、土佐沖に進行してきたアメリカ機動部隊艦載機、戦爆連合約200機が呉・広島方面攻撃に来襲しました。これを迎撃するために長崎県の大村基地から鴛淵大尉の指揮する「紫電改」21機が発進、豊後水道上空で空中戦となり16機を撃墜しました。
しかし、この空中戦で6機が未帰還となりました。

※当館の紫電改は、この6機のうちの1機です。

        鴛淵  孝 大尉 (25歳) 長崎県出身
        武藤金義 少尉 (29歳) 愛知県出身
        初島二郎 上飛曹(22歳) 和歌山県出身
        米田伸也 上飛曹(21歳) 熊本県出身
        溝口憲心 一飛曹(21歳) 広島県出身
        今井  進 二飛曹(20歳) 群馬県出身
  1. 未帰還の六機
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